2012,08/28(Tue)
当時遊びの為の道具等は何も無く、かくれんぼや鬼ごっこや空き缶を使って
缶ケリなどをして遊んでいた。私のいた所は、細い路地が多かった為
かくれんぼをするには もってこいの場所だった。
殆どが小学生の子供達で、宿題をすませると5時頃から 何処かのお母さんが
「○○ちゃん!御飯よ~~~!」と呼ぶ迄遊んでいた。
姉は身体が弱かったので外で遊ぶことは殆ど無かった。家の中で伯母さんの手伝い
をしている事が多かった。と云っても掃除洗濯ではなく 食事の準備が殆どで
お茶碗を洗ったり野菜を洗ったり・・・。
私も雨の日や外で遊べない時は、伯母さんの食事の準備を手伝った。
「紀ちゃん!悪いけどな、外の石の用水の中に植えてあるお葱引っこ抜いて来て
くれるか・・・?」「は~い!」
石の用水というのは、戦争中各家庭の入り口の横に防火用水を入れる為に備え付けられた
石製の水入れで、空から爆弾を落とされて炎上した火を消す為の水を入れる物だったが
戦争の終わった今はその必要がなく、殆どの家庭が水の替わりに土を入れて家庭菜園として
葱や菊菜等を植えていた。
缶ケリなどをして遊んでいた。私のいた所は、細い路地が多かった為
かくれんぼをするには もってこいの場所だった。
殆どが小学生の子供達で、宿題をすませると5時頃から 何処かのお母さんが
「○○ちゃん!御飯よ~~~!」と呼ぶ迄遊んでいた。
姉は身体が弱かったので外で遊ぶことは殆ど無かった。家の中で伯母さんの手伝い
をしている事が多かった。と云っても掃除洗濯ではなく 食事の準備が殆どで
お茶碗を洗ったり野菜を洗ったり・・・。
私も雨の日や外で遊べない時は、伯母さんの食事の準備を手伝った。
「紀ちゃん!悪いけどな、外の石の用水の中に植えてあるお葱引っこ抜いて来て
くれるか・・・?」「は~い!」
石の用水というのは、戦争中各家庭の入り口の横に防火用水を入れる為に備え付けられた
石製の水入れで、空から爆弾を落とされて炎上した火を消す為の水を入れる物だったが
戦争の終わった今はその必要がなく、殆どの家庭が水の替わりに土を入れて家庭菜園として
葱や菊菜等を植えていた。

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