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お母ちゃん 死んだら あかん!!
ヘビ? それとも・・・? 姉と二人で身を固くして 耳をそばだてていた・・・! 次の瞬間
男の子達の笑い声が聞こえてきた・・・! あ~~良かった・・・! 段々 木々の間からその
姿も見えて来た・・・! 4,5人は居る・・・ が あっ!ガキ大将もいる・・・!

どないしょ!「お姉ちゃん!怖いから帰えろ・・・!」「大丈夫! 知らん振りしてたら大丈夫!」
「うん!」皆と目を合わさない様にして 通り過ぎ様とした・・・!「お母ちゃんは 今日は
どねしたなら(如何した?)」ガキ大将が 私達に声を掛けて来た・・・!見た目は怖そうだったが

声が優しかったので 思わず姉が「お母ちゃんな 病気で来られへんねん! それでな 2人で 重
湯炊いてるねんけど 雨降ったから木が湿って燃えてくれへんねん それで 重湯の中に煤が入っ
てしもうて お母ちゃん 重湯食べられへんねん・・!それでな 乾いた木探しに来てん・・・!」

その言葉を聴いたガキ大将は「よっしゃ!解かった!あそこに 枯れた木があろー あの木に登って
枝 折って 下に落しちゃるけん 下でまっちょれ・・・!」と言うが早いか 他の男の子達を尻目に
まるで猿の様に スルスルとその見事なまでの 枯れ木に登り かなり上の枝を力一杯折り始めた!
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(非公開コメント受付不可)

shiromedakaさん コメント有難うございます。
こちらこそ有難うございますm(_ _)m

いつも はるちゃんの可愛い映像と shiromedakaさんのはるちゃんに対する 
愛情一杯のコメントに 思わず 優しい気持ちにさせられて笑顔になっています・・・!

お祖母様 その頃長崎に住んでいらっしゃったのでしたら 
きっと原爆に合われ 大変なご苦労をされたのでは無いでしょうか?

母とは 一生一緒にいましたから 良く解かっていたと思っていますが 
母の気持ちがどうだったかは 解かりません・・・!

父は 戦地とロシアの捕虜収容所での7年間の空白で 
父との隔たりが出来てしまって 今 思えば 父は 
寂しい思いをしていたのでは・・?と悔やまれます。

せめて このブログで 出来るだけ 当時の現実を書く事で
2度と戦争だけはしてはいけないと思って戴ければと思って
書いています。

お仕事 おいそがしそうですネ! お休みの日は はるちゃんと
お昼ねしたり バランスよく食事して 自然治癒力ネ!

お父様の日本画 ブルーの背景に白い木・・・ステキですね!
いつもコメントありがとうございます。

私の母は長崎出身です。
私が小学校3年生の時に、長崎に一人で住んでいた
母の母親(私の祖母)と埼玉で同居生活を始めました。
祖母はお産婆さんをやっていました。
祖父は母が幼い頃に亡くなっているので、
それ以来ずっと一人暮らしをしていました。

満州から引き揚げてきた時の話とか
戦争中は大変だったのよ、とか
戦争の話を祖母がしてくれていましたが
子供だったせいかあまり真剣に耳を傾ける事ができなかったんです…。
ちゃんと聞いておけばよかったなって大人になって気付きました。
母は戦後生まれ(昭和23年)で、仕事が忙しく家にほとんどいなかった祖母とは
コミュニケーションがなかったせいか戦争の話は
あんまり聞いていなかったようです。
りんださん コメント有難うございます
そうですね 姉と私は まだ これでも 幸せなほうでした・・・! 
病弱では有りましたが 命を掛けて2人を護って呉れる母がいましたので・・・!

なかには 家族全員が焼死し 幼くして一人ぽっちになってしまって 
路上生活を余儀なくされ ボロボロの服を身に纏い 身体中シラミだらけで 
物乞いや盗みをしなければ生きて行けない子供達も多く その子達は 浮浪児 
と呼ばれ皆から嫌われて 生きて行けなくて 病気や飢餓の為 野垂れ死して行きました・・・!

どうか しっかり お母様の戦争体験を聞いて さしあげてください。 

私は 父が戦中2年 戦後5年 計7年間も長い間 お国の為に戦地にいましたが 
ポツダム宣言に於いて 終戦に為ったのだから 速やかに兵士を帰還させる様に・・・!
との約束が成立したにも関わらず 戦後の5年間は シベリアに捕虜として抑留させられ 
強制労働を強いられていた事や 同じ日本人の凍死した死体の始末等をさせられていた事を 
つい先日のNHK TVの情報で知りました・・・! 

父が他界して 既に15年・・・ 何故生きている間に もっとしっかり
聞いておかなかったのかと悔やまれてなりません・・・
もし聞いていれば もっともっと優しくしてあげられたのに・・・
父は戦場や捕虜収容所での出来事は余り話してくれませんでした・・・
いつもはらはらしながら読ませていただいています。
時代とはいえ本当に大変な時期を過ごされたのですね。
私は戦争は嫌で今まで歴史も戦争のところは詳しくやろうとはしませんでした。いろんな機会があったのに目をそむけていました。本当は事実をありのままに知って そこからいろいろ考えなければいけなかったと反省です。
親世代に戦争体験を聞くこともなしに過ごしてきてしまいました。
もう母しかいないのですが 機会があったら聞いてみようかな!なんて思います。
プロフィール

☆小さな天使☆

Author:☆小さな天使☆
戦争体験を主につずっています。その他思いつくままに・・・!
「お母ちゃん 死んだら あかん!!」と「父還る!!」のイラストは、お絵かきエデターを使ってマウスで描いています。トテモ難しいです。
性別 女性
年齢 ・・・!
好きなもの 平和 お花 芸術鑑賞
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