5才の姉は、幼稚園に通っていたが霜焼で履物が履けない.
送り迎えは母がおんぶして連れて行った。 私も一緒にチョコチョコと
歩きながら・・・ついて行った。
*年が明けて昭和19年戦争が始まって3年目 大阪方面は
徐々に敵機の 襲来を受けていた!その殆どが真夜中である・・・。
う~~~~と不気味なサイレンの音(警戒警報発令の合図)と共に
幾筋ものサーチライトの行きかう中を皆 夫々にリュックサックや水筒を
肩に背負って防空頭巾を被り 防空壕に向かって走り出す。
「紀ちゃん!黎ちゃん!準備はいいかね?」(寝巻きから
枕元に畳んで置いた モンペと服に着替え 防空頭巾を被り
食料や衣類の入ったリュックを背負い水筒を肩から斜めに掛けて準備完了!)
「うん!」「はい!」「じゃあ!」 母は姉を背負い私の手を引き 私は、
母の荷物を持って防空壕へと急ぐ!防空壕の階段はどろんこで
滑りそう・・・危ない!母は、注意深く一歩一歩階段を降り奥へと進む
防空壕は深く掘られ 大人が立って歩けるぐらいの高さ・・・。底には
丸太や板が敷かれているが 何時も水浸しである。それでも
長椅子様の物も 置かれていて、早く来た人達が詰めて座っている。
私達も空いている所に 座らせて戴き一安心!
中は10人位の人が入れる様になっていた。
外の様子を窺がいながら お腹の空いた人達は、おにぎりを食べている。
小1時間程経って空襲警報解除! そんな日々がだんだん多くなって行った!!