お母ちゃん 死んだら あかん!!
2010,12/12(Sun)
此の頃父は、極寒のシベリアは、カムチャッカ半島に捕虜として送られていた!!
日本は、ポツダム宣言を受諾し、降伏し、兵士達を、ただちに祖国へ帰還させる
様に、支持されていたにも関わらず・・・!
『日本人捕虜は、拘留所・バラックに連れて行かれ、多くの日本人が、そこへ着く前
に飢えと病気、衰弱で死んだ。1つの拘留所に500人程の捕虜が居て、近くの
森林で、木を切り出すのが、主な仕事だった。食べ物が不足しているので、毎日、
朝になると、誰かが死んでいた。冬になると、もっと死んだ。
土が、カチカチに凍り、死体を埋める事が出来ない為、靴や軍服は、剥ぎ取り、
生き残りの、捕虜がそれを使用させられ、バラックの外に丸裸で積んでおいて、
遅い春が来ると、土もツルハシだと掘れるようになる。死体を埋めなければ
ならない。死体は、未だ凍ったままで、素手では、動かせない!!
ツルハシで、凍った遺体を分けなければならない!!
誰も戦友達の遺体に傷付ける事は、したくない!!
日本は、ポツダム宣言を受諾し、降伏し、兵士達を、ただちに祖国へ帰還させる
様に、支持されていたにも関わらず・・・!
『日本人捕虜は、拘留所・バラックに連れて行かれ、多くの日本人が、そこへ着く前
に飢えと病気、衰弱で死んだ。1つの拘留所に500人程の捕虜が居て、近くの
森林で、木を切り出すのが、主な仕事だった。食べ物が不足しているので、毎日、
朝になると、誰かが死んでいた。冬になると、もっと死んだ。
土が、カチカチに凍り、死体を埋める事が出来ない為、靴や軍服は、剥ぎ取り、
生き残りの、捕虜がそれを使用させられ、バラックの外に丸裸で積んでおいて、
遅い春が来ると、土もツルハシだと掘れるようになる。死体を埋めなければ
ならない。死体は、未だ凍ったままで、素手では、動かせない!!
ツルハシで、凍った遺体を分けなければならない!!
誰も戦友達の遺体に傷付ける事は、したくない!!