お母ちゃん 死んだら あかん!!
2011,12/07(Wed)
4日、母も私達もその翌日から学校が始まる・・・。いまだ 父からの音沙汰が
無く、父の安否 を尋ねる為に市役所へ行く事になった・・・。
正月明けの岡山駅は人でごった返していた。以前この駅前で、戦争で手足を
無くした傷痍軍人 の人達が、アコーデオンを弾いていたが、この寒空に、
やはり白い着物を着て 5,6人の人達が アコーデオンやギターを弾いたり、
歌ったりしていた・・・。
「お母ちゃん?あのおじちゃん達、歌上手やね!」「そうやね!
キット一生懸命練習してはるんやね!」 母はそう云いながら、涙が出そうなの
をやっと こらえ、 手提げバックの中から財布を取り出し、「二人で行って
これ、あの小父ちゃんの 座ってはる箱の中へ入れて来なさい。」と言ってお札と
小銭を私達に手渡した・・・。「は~い!」 「お父ちゃんも ひょっとしたら、
あんな姿で帰って来はるかもしれへんしね! 皆、お国の為に 闘って、手、足
を無くされた人達ですからね!皆で応援しないと、国は援助も何もしてくれませ
ん からね!」「うん!」
市役所も手を離すと迷子になりそうな程込み合っていて、3時間位待たされた。
やっと「やまもと さ~~ん!」と呼ばれ、父の安否を尋ねた。「解かりました。
調べますので呼ぶ迄待ってください。」 と言われて、又、2,30分待たされた!
「やまもとさ~ん!」「は~い!」母は、内心ドキドキしながら ・・・。
担当員の言葉を待った。”残念ながら~”と言われて、母の顔色が見る見る変
わっ て行くのが 良く解かった! 「残念ながら、こちらにも、何の知らせも入っ
ていません! 生きておられるのか 如何かは・・・!」とても事務的でそっけない
言い方だった。でも、 母は、内心ほっと 胸を撫で下ろした・・・。
"戦死”と言われたら如何しようと思って いたから・・・。 未だ 望みは、ある・・・と
しかし、戦後既に2年4ヶ月が過ぎている。戦死者以外は、殆どの人が帰還して
いるのに 何故・・・。
無く、父の安否 を尋ねる為に市役所へ行く事になった・・・。
正月明けの岡山駅は人でごった返していた。以前この駅前で、戦争で手足を
無くした傷痍軍人 の人達が、アコーデオンを弾いていたが、この寒空に、
やはり白い着物を着て 5,6人の人達が アコーデオンやギターを弾いたり、
歌ったりしていた・・・。

「お母ちゃん?あのおじちゃん達、歌上手やね!」「そうやね!
キット一生懸命練習してはるんやね!」 母はそう云いながら、涙が出そうなの
をやっと こらえ、 手提げバックの中から財布を取り出し、「二人で行って
これ、あの小父ちゃんの 座ってはる箱の中へ入れて来なさい。」と言ってお札と
小銭を私達に手渡した・・・。「は~い!」 「お父ちゃんも ひょっとしたら、
あんな姿で帰って来はるかもしれへんしね! 皆、お国の為に 闘って、手、足
を無くされた人達ですからね!皆で応援しないと、国は援助も何もしてくれませ
ん からね!」「うん!」
市役所も手を離すと迷子になりそうな程込み合っていて、3時間位待たされた。
やっと「やまもと さ~~ん!」と呼ばれ、父の安否を尋ねた。「解かりました。
調べますので呼ぶ迄待ってください。」 と言われて、又、2,30分待たされた!
「やまもとさ~ん!」「は~い!」母は、内心ドキドキしながら ・・・。
担当員の言葉を待った。”残念ながら~”と言われて、母の顔色が見る見る変
わっ て行くのが 良く解かった! 「残念ながら、こちらにも、何の知らせも入っ
ていません! 生きておられるのか 如何かは・・・!」とても事務的でそっけない
言い方だった。でも、 母は、内心ほっと 胸を撫で下ろした・・・。
"戦死”と言われたら如何しようと思って いたから・・・。 未だ 望みは、ある・・・と
しかし、戦後既に2年4ヶ月が過ぎている。戦死者以外は、殆どの人が帰還して
いるのに 何故・・・。