お母ちゃん 死んだら あかん!!
2012,06/23(Sat)
母は当時の女性としては珍しく女学校を卒業していて、読み書きが出来た。
出来れば事務的な仕事をしたいと思っていた・・・。
毛筆の履歴書を持って「事務員募集」の比較的大きな会社を訪れた。
面接の時「山本さんは、算盤は出来ますか?」と,どの会社でも聞かれた!
「あ~ は~ いいえ・・・。」「そうですか、字が上手でも算盤が出来
へんかったら 使いものにならへんからね~~!」
面接の度に心が折れそうになるのをじっと耐えながら・・・。
算盤が出来なければ何処へ行っても事務的な仕事は雇って貰えない・・・。
プライドは、生きて行く為にとっくの昔に捨てた筈である。捨てきれないのは、
場所が都会の大阪だからだろうか・・・。いけない!!子供達の為にはキッパリ
ともう一度プライドを捨てなければ・・・。
結局、当時靴のメーカーで名の知れた「ス○○ダード」に女工として就職出来た。
母は、未だ当時としては、身に付けて居る人の少なかった洋裁を身に付け家庭用の
ミシンが踏めた為に雇って貰えたが、実際は高速の動力ミシンだった。慣れる迄に
指を怪我したり、旨く縫えなかったり・・・。慣れない仕事に随分苦しんだ様である。
唯、子供の為にと、歯を食い縛って頑張った!!
出来れば事務的な仕事をしたいと思っていた・・・。
毛筆の履歴書を持って「事務員募集」の比較的大きな会社を訪れた。
面接の時「山本さんは、算盤は出来ますか?」と,どの会社でも聞かれた!
「あ~ は~ いいえ・・・。」「そうですか、字が上手でも算盤が出来
へんかったら 使いものにならへんからね~~!」
面接の度に心が折れそうになるのをじっと耐えながら・・・。
算盤が出来なければ何処へ行っても事務的な仕事は雇って貰えない・・・。
プライドは、生きて行く為にとっくの昔に捨てた筈である。捨てきれないのは、
場所が都会の大阪だからだろうか・・・。いけない!!子供達の為にはキッパリ
ともう一度プライドを捨てなければ・・・。
結局、当時靴のメーカーで名の知れた「ス○○ダード」に女工として就職出来た。
母は、未だ当時としては、身に付けて居る人の少なかった洋裁を身に付け家庭用の
ミシンが踏めた為に雇って貰えたが、実際は高速の動力ミシンだった。慣れる迄に
指を怪我したり、旨く縫えなかったり・・・。慣れない仕事に随分苦しんだ様である。
唯、子供の為にと、歯を食い縛って頑張った!!