おもいつくまま
2012,08/06(Mon)
核廃絶に!!
1945年(昭和20年)8月6日8時15分
(7時30分、先行した天候観測機が
広島上空は「雲が切れて晴れている」
ことを確認し、「エノラゲイ」に連絡。
8時14分広島の上空に至った
「エノラゲイ」は15分、弾倉の扉を開け )
「リトル・ボーイ}を投下!!
原子爆弾は、
元安川にかかる相生橋の上空580mで炸裂し、
その閃光が 広島市内を覆った。
中心温度1万1000度、
半径150m程の爆弾の太陽は、
爆心地500m以内で3000~4000度の
熱線を放射。
一瞬の内に町を焼き尽くした。
同時に爆心地直下では、
1平方メートルあたりに 35トンという
風圧がかかり建物を倒壊させる。
爆風が人々を吹き飛ばすとともに
火災嵐が猛威を振るい。
広島の町を瞬時に壊滅させてしまった。
さらに、30分ほど後には
放射能を吸いこんだ黒い雨が広い範囲に降り注いだ。
この日の広島は、
7時9分に出た警戒警報が
31分に解除されたこともあって、
投下時間には、防空壕から出た人々が、
通勤や通学などの仕度にとりかかり、
町は再び動き出しつつあった。
この為建物疎開の作業に動員されていた生徒の
多くが被爆している!!
又、爆心地の近くでは、
影を壁などに焼き込んで
跡形も無く亡くなった人もいた!!!
市内中心部は重傷を負って
助けを求める人々で溢れかえり、
辺りには黒焦げの死体が散乱した。
さらには、家族の消息を尋ねて捜し歩いた
人々が市内をさまよう内に
放射能を取り込み、
入市被爆者となってしまう。
即死者に加え
数日、数ヶ月後に原爆症で亡くなる人も多く
同年末までに市民の役4割、
約20万人の人が命を落とした!!
さらに9日の11時2分には長崎に
プルトニュウム型原子爆弾が投下され
約9万人の人が亡くなった!!
(知識ゼロからの <太平洋戦争>入門より引用)
こんな悲惨なことが二度とあってはならない!!
わが国はこれに加え
先の福島原発のメルトダウン(水素爆発)でも
悲惨な思いをし
今だ未解決の儘である!!
犠牲になるのは何時も何も知らない
国民である!!
先ずは、日本の原発を全て廃炉にし
核は世界的規模で廃絶してほしい!!
1945年(昭和20年)8月6日8時15分
(7時30分、先行した天候観測機が
広島上空は「雲が切れて晴れている」
ことを確認し、「エノラゲイ」に連絡。
8時14分広島の上空に至った
「エノラゲイ」は15分、弾倉の扉を開け )
「リトル・ボーイ}を投下!!
原子爆弾は、
元安川にかかる相生橋の上空580mで炸裂し、
その閃光が 広島市内を覆った。
中心温度1万1000度、
半径150m程の爆弾の太陽は、
爆心地500m以内で3000~4000度の
熱線を放射。
一瞬の内に町を焼き尽くした。
同時に爆心地直下では、
1平方メートルあたりに 35トンという
風圧がかかり建物を倒壊させる。
爆風が人々を吹き飛ばすとともに
火災嵐が猛威を振るい。
広島の町を瞬時に壊滅させてしまった。
さらに、30分ほど後には
放射能を吸いこんだ黒い雨が広い範囲に降り注いだ。
この日の広島は、
7時9分に出た警戒警報が
31分に解除されたこともあって、
投下時間には、防空壕から出た人々が、
通勤や通学などの仕度にとりかかり、
町は再び動き出しつつあった。
この為建物疎開の作業に動員されていた生徒の
多くが被爆している!!
又、爆心地の近くでは、
影を壁などに焼き込んで
跡形も無く亡くなった人もいた!!!
市内中心部は重傷を負って
助けを求める人々で溢れかえり、
辺りには黒焦げの死体が散乱した。
さらには、家族の消息を尋ねて捜し歩いた
人々が市内をさまよう内に
放射能を取り込み、
入市被爆者となってしまう。
即死者に加え
数日、数ヶ月後に原爆症で亡くなる人も多く
同年末までに市民の役4割、
約20万人の人が命を落とした!!
さらに9日の11時2分には長崎に
プルトニュウム型原子爆弾が投下され
約9万人の人が亡くなった!!
(知識ゼロからの <太平洋戦争>入門より引用)
こんな悲惨なことが二度とあってはならない!!
わが国はこれに加え
先の福島原発のメルトダウン(水素爆発)でも
悲惨な思いをし
今だ未解決の儘である!!
犠牲になるのは何時も何も知らない
国民である!!
先ずは、日本の原発を全て廃炉にし
核は世界的規模で廃絶してほしい!!